ありがとうが湧き上がる瞬間

「ありがとう」と口にしていても、
心から感じられていないことがあります。

そんな違和感から始まった気づきのお話です。


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目次

ありがとうを見失ったとき

「ありがとう」という言葉は、日常の中でよく口にします。

けれど、
それを心から感じているかといえば、
そうでもないことが多いかもしれません。

私もそうでした。

個人で活動を始めたばかりの頃は、
誰かから声をかけてもらえることが
本当にありがたくて、自然と感謝の気持ちが湧いていました。

けれど、続けるうちにその感覚は少しずつ薄れていきました。

いつの間にか、それらは「当たり前」になり、
気づけば、心からの「ありがとう」が湧いてこなくなっていました。

お坊さんのひと言で腑に落ちた

そんなときに聞いたのが、法事の席でのお坊さんの言葉でした。

「ありがとうの反対は、当たり前です」

その言葉が胸の奥に届いた瞬間、何かが弾けるように腑に落ちました。

「ああ、これだ」

世界の見え方が、その一言でがらりと変わりました。

点の「ありがとう」は、当たり前になる

それまでの私の「ありがとう」は、目の前の出来事に向けられた”点”でしかありませんでした。

たとえば、食卓に並ぶごはん。

おいしいときに
「ありがとう」と言えるけれど、
それは一時的な、点の感謝にすぎません。

同じことが繰り返されれば、
そのありがとうはすぐに当たり前になり、感動は薄れていってしまいます。

循環に気づいたとき、世界がひっくり返る

けれど、一杯のごはんの背後には、無数のつながりがあります。

種をまく人、育てる人、収穫する人、運ぶ人、料理する人。

そして、太陽や雨、土や風。目には見えない自然の循環すべてが関わっています。

ごはんが「ここにある」ということ自体が、すでに奇跡のようなことなのです。

それを体感として理解したとき、ありがとうは点から、循環へと姿を変えました。

当たり前だと思っていた日常が、
実は奇跡の連続だったと腑に落ちた瞬間、
胸の奥がほどけ、体全体がふわっと温かく、軽くなりました。

目の前にあるものすべてが、少し鮮やかに見えてきました。

「ありがとう」は、場に滲み出していく

ありがとうを点で捉えていると、やがて当たり前になってしまいます。

けれど、循環として受け取ったとき、
その「ありがとう」は自分の中に、光として灯りはじめます。

それは単なる感謝の言葉ではなく、
世界と自分がつながっているという実感そのものです。

胸の奥でぽっと温かく灯った光は、やがて場に滲み出していきます。

言葉にしなくても、
空気や雰囲気に溶け込むように広がり、
共にいる人の心をそっと温めていきます。

ありがとうは、
自分の内側にとどまるものではなく、
場を育み、人へと静かに伝わっていくものなのです。

気づきのメモ

当たり前に埋もれてしまわないように。

心と体の声に耳を澄ませながら、
日々の中で、ありがとうの灯を大切にしていきたいと思います。

なか

あなたの中で「ありがとう」は、
どんなふうに感じられていますか

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