熊野三山をめぐる旅① ― 熊野速玉大社:再生の入口にある軽やかさ

🌿この記事は「熊野三山をめぐる旅」シリーズの第1回です。
熊野三山は「熊野速玉大社」「熊野那智大社」「熊野本宮大社」の三社を総称する、再生と祈りの地。
このシリーズでは、私自身が訪れて感じたことを探訪記として綴っていきます。

目次

日本の神様カードが導いた始まり

神様カードを引いたときに現れたのは〈くにのとこたちの神〉。

“始まり”の神様とのご縁を感じ、
この旅の最初に選んだのが熊野三山のひとつ、
和歌山県新宮市にある熊野速玉大社でした。

空は突き抜けるような青い空。
残暑を含みつつ、秋の乾いた空気が心地よく肌を撫でていました。

街の中にありながら、赤い鳥居をくぐった瞬間、
空気がパシッと切り替わり、そこだけが聖域のように感じられます。

熊野速玉大社とは

熊野速玉大社は、熊野川の河口近くに鎮座し、熊野詣の玄関口として栄えた神社です。

ご祭神は
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)。

生命を生み出す神々が祀られ、
人生を切り替える“再生の入口”として多くの人が参拝してきました。

さらに境内の摂社には、〈くにのとこたちの神〉もお祀りされています。

カードでこの神様を引いたご縁と重なり、
今回の旅の始まりに導かれたように感じました。

また、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産にも
登録されており、その歴史的・精神的な重みを感じさせる場所です。

参道とナギの大樹

参道は長くはないけれど、
少し斜めにのびていて、不思議な印象を与えます。

途中にそびえるナギの大樹は、樹齢千年近くと伝えられ、平和と良縁の象徴。

葉が裂けにくいことから「縁が切れない木」とされ、
人と人、人と神のつながりを守ってきました。

その幹から伝わる静かな力に触れたとき、
心がふっと安らぎ、背筋が伸びるような感覚を覚えました。

エネルギーがすごく安定していて
どっしりとした力強さがありました

本殿で感じたエネルギー

社殿に近づくと、朱色の鮮やかさと青空のコントラストが心を奪います。

華やかでありながら決して派手ではなく、
安心感のある穏やかなエネルギーに包まれていました。

裏手でナギの実のお守りと出会い、修復中の屋根への奉納銅板を納める機会もありました。

神社を訪れるときには、
できる限り修復や奉納に関わりたいと思っているので、
この瞬間もまた大切なご縁と感じました。

神倉山と残された余白

近くには神倉山という聖地があります。
天の神々が最初に降臨したと伝えられる場所。

入口までは辿り着いたのですが、険しい石段を登るには装備が不十分で断念しました。

「次に訪れる理由」を残してくれたこともまた、旅の楽しみにつながっていく気がします。

階段が…見た目ほぼ90度、
登山というよりクライミングに近い感覚でした

人と神が共にある風景

参拝を終えて立ち寄った食事処には、
お祭りで使う道具や、とても大きな神棚が飾られていました。

それを目にしたとき、神社が地域の人々の日常に
しっかり根を下ろし、共に生きていることを実感しました。

ここには、人と神が別々に存在するのではなく、共に息づく世界がありました。

うどん、美味しかったです
めはりずし(高菜を巻いたもの)も美味しかった♪

軽やかに始まる再生

私自身、この神社で一番強く心に残ったのは「また始まるんだ」という軽やかさでした。

熊野三山は「死と再生の巡礼」とも呼ばれますが、
その入口で感じたのは重々しい決意ではなく、
背中をぽんっと押してくれるような明るい再出発。

再生とは、何かを背負い込むことではなく、
安心の中で自然に歩み出すことなのだと、ここで気づかされました。

旅の始まりに寄せて

熊野速玉大社は、人と神が共に息づく象徴のような神社。
その存在に迎えられて、熊野三山の旅はここから始まります。

――あなたなら、この神社でどんな願いを託しますか?


詳しい由緒や行事については、熊野速玉大社 公式サイト をどうぞ。

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