🌿この記事は「熊野三山をめぐる旅」シリーズの第2回です。
熊野三山は「熊野速玉大社」「熊野那智大社」「熊野本宮大社」の三社を総称する、再生と祈りの地。
このシリーズでは、私自身が訪れて感じたことを探訪記として綴っていきます。
山道を降りて、滝へ
熊野速玉大社から始まった旅は、山の方へと続いていきます。
向かったのは、熊野那智大社の別宮である飛瀧(ひろう)神社。
那智の滝そのものを御神体とする場所です。
熊野那智大社 公式サイト をどうぞ。
詳しい由緒や行事については、参道は階段になっていて、山の中をゆっくりと降りていく。
木々の間を抜ける風、石段を打つ靴音、
そして人々の話し声が入り混じるその中で、
不思議な一体感のようなものを感じました。
ざわめきの中にも自然のリズムが流れていて、
歩くたびにその流れに自分も溶けていくような感覚でした。
階段を下りきると、目の前がふっと開け、世界が一変します。
左手に社務所、そして正面には白い水の流れがまっすぐ落ちる大滝。
それが、那智の滝でした。

水に包まれる祈り
滝の前に立つと、細かな水のミストが体全体を包み込みます。
まるで古いものをすべて洗い流してくれるような感覚。
多くの人で賑わう場所でしたが、
その気配さえも滝が大きく包み込み、
すべてを循環の中に還していくような力を感じました。
私はその日、滝を最も近くで拝観できる【御瀧拝所舞台】に立ちました。
滝のしぶきが頬に触れ、空気が変わる。
奥へ進むほどに、エネルギーの大きさに包まれ、
ただそこに“いるだけ”で癒されていく。
祈りとは何かを願うことではなく、
「ただ在ること」を受け入れることなのだと感じました。

水の記憶と再生の気配
飛瀧神社には、大己貴命(おおなむちのみこと)、
別名**大国主神(おおくにぬしのかみ)**が祀られています。
幾度も命を落としながら蘇った神として、癒しと再生を司り、
また人と人、自然との縁を結ぶ存在とも伝えられています。
滝の前に立つと、水音の中から
「あなたに与えられた目的を思い出して」
と語りかけられるようでした。
その声は力強いというより、
しぶきのようにやわらかく、心の奥に静かに届く。
ただこの場に在ること、それ自体がもう癒しであり再生なのだと――
滝の流れの中で、そんな確信が静かに息づいていました。


水の中にいるような
不思議なエネルギー..すごく癒されました
光が差す余韻
速玉大社で感じた「また始まるんだ」という軽やかさ。
ここ飛瀧神社では、
その軽やかさが「すべてを委ねて生まれ変わる静けさ」へと変わりました。
滝の音は絶えず響き、訪れる人々の祈りを包み込んでいます。
この場所に立つと、
“祈る”ことよりも、“ただ在ること”の尊さを思い出させてくれます。
そして――熊野の旅は、まだ終わりません。
水がやがて川へと流れ、大地に還っていくように、
次の地・本宮では「すべてが一つに戻る」その循環の意味に出会います。
旅の終わりに、甘やかなひととき
滝をあとにして立ち寄ったのは、参道沿いの**和か屋 本店 ** さん。
名物の「お滝もち」と抹茶をいただきました。
しっとりとした餅のやさしい甘さが、滝の清らかな気配と重なって、
心と体がふわりとほどけていくよう。
旅の締めくくりに、静かな幸福が広がりました。





焼きたてのお滝もち
抹茶とセットで750円..美味しかった