熊野三山をめぐる旅③ ― 熊野本宮大社:自分に還る場所

🌿この記事は「熊野三山をめぐる旅」シリーズの第3回です。
熊野三山は「熊野速玉大社」「熊野那智大社」「熊野本宮大社」の三社を総称する、再生と祈りの地。
このシリーズでは、私自身が訪れて感じたことを探訪記として綴っていきます。

目次

熊野川をさかのぼって

熊野川沿いの道を、ゆっくりと山の奥へ入っていきました。

いまは穏やかに流れていますが、
かつて大きな氾濫を繰り返した川でもあります。

その静けさの奥には、荒ぶる水の記憶が今も息づいているように感じました。

川の流れに寄り添うように車を進めるにつれて、
現実の世界が少しずつ遠のき、
熊野という“奥へ奥へ”と導かれていく不思議な感覚に包まれていきます。

その奥には何か、大きなものに抱かれるような安心と畏れが混じっていました。

本宮が近づくにつれて、
急にパッと視界が開け、空が高くなるのを感じました。
その瞬間、深い山の懐に抱かれているのだと実感しました。

熊野本宮大社とは

熊野川をさかのぼりながら辿り着く熊野本宮大社は、
熊野三山(速玉・那智・本宮)の中心に位置する聖地です。

ご祭神は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、
別名・素戔嗚尊(すさのおのみこと)。

荒ぶる力と再生の力を併せ持つ神として知られ、
「破壊の後に新しい秩序を生む」エネルギーを象徴しています。

もとは熊野川の中州・大斎原(おおゆのはら)に
鎮座していましたが、明治22年の大洪水により現在の地へ遷座しました。

自然の猛威とともに生きる熊野の人々にとって、
この神社は「失うことは終わりではなく、再び始まること」を示す象徴のような存在です。

詳しい由緒や行事については、熊野本宮大社 公式サイト をどうぞ。

大地と調和する社殿

本宮大社の社殿へ向かうには、158段の石段を上っていきます。

一段ごとに空気が変わっていくようで、
木々の間からこぼれる光が肌に触れるたび、
日常の感覚が少しずつ遠のいていくのを感じました。



本宮大社の社殿は、華やかさはないけれど、静かな存在感を放っていました。

木の色、檜皮葺の屋根、そして周囲の森。
すべてが自然と調和していて、人を拒まないやさしさがありました。

明治24年に移転・再建された建物だと聞きましたが、
そこには新しさよりも、もっと古い記憶が息づいているように感じました。

派手さも、近寄りがたさもなく、あるのはただ「受け入れる」という穏やかさ。

参拝というより、帰ってきた場所に挨拶をするような気持ちになりました。

大斎原 ― よみがえりの始まり

参拝を終えて向かったのは、
かつて本宮大社があった大斎原(おおゆのはら)です。

そこに立つ鳥居は、高さ33メートル、幅42メートル。
田んぼの中に立つその姿は、まるで空と地をつなぐ扉のようでした。

鳥居をくぐると、風の流れが変わります。

この場所が「よみがえりの出発点」と
呼ばれる理由が、言葉ではなく、空気で伝わってきました。

「ここで始まる」

そう感じた瞬間、同時に「旅が終わる」感覚もやってきました。
すべてがひとつの円を描くように、始まりと終わりが重なる。
そんな不思議な静けさに包まれていました。

かつては、熊野川の中洲にあったそうです。
明治22年の大水害で流されてしまいました。

大地に戻る

速玉の風に始まり、
那智の水を経て、
本宮では大地へと戻る。

熊野の三つの社をめぐって感じたのは、
変化の中にこそ「生きる力」があるということでした。

どんな出来事も流れの一部であり、
やがて大地に吸い込まれ、新しい形として息を吹き返します。

頭を下げると、足の裏から土のあたたかさが伝わってきました。
「おかえり」と言われた気がして、心の奥に小さな安堵が灯りました。

日々へ戻る余韻

熊野川の流れは今日も変わらず、
あらゆるものを受け入れながら、また次の命を運んでいます。

旅を終えた私は、その流れの一部として、日常という大地へと帰っていくのだと思いました。

なか

不思議な時間の流れから日常へと戻っていきます。
楽しかった旅でした!

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